送 信 塔 見て歩き
沖縄県
T様提供の画像で紹介します。
琉球放送 旧テレビ塔
豊見城市(旧 豊見城村)嘉数のRBC放送所は、1953年のラジオ放送開始からの送信所です。1960年にはテレビ放送所も併設になりました。
その後、1985年6月には、テレビ送信所を高安のNHK鉄塔に移し、ラジオのみの送信所に戻りました。
しかし、1995年10月のQAB開局に伴い、再びテレビ・ラジオ併設送信所になりました。さらにデジタルテレビ時代になり、RBCもここへ戻ってきました。
以上のような経緯をたどり現在に至ります。今回、T様より新鉄塔(現在のラジオとデジタルテレビ共用鉄塔)の建設の様子と、新旧2本の鉄塔が併設の
画像提供を受けまた。ご覧ください。
完成間近の様子です。 ゲイン塔の取り付けです。 1995年6月の撮影と思われます。
ところで、この記事を作成にあたり、国土交通省の古い航空写真で、当時の様子を確認しました。
1977年の画像では、支線式の鉄塔が2本あります。1993年の画像では、鉄塔は1本のみです。
当方が撮影した画像で、旧鉄塔の場所を確認します。
この広い部分に旧ラジオ鉄塔(1985年まではアナログテレビ併用)が ありました。画像A |
別角度から。すぐ左には現在の局舎があります。 |
奥の広い場所にも、その昔、鉄塔がありました。画像B
旧テレビアンテナは支線式128mの鉄塔に、スーパーゲインアンテナ「北向け10段・東向け4段・南向け3段」だったようです。
このアンテナは、1985年5月まで使用されました。
鉄塔の変遷については、以下で説明。
↓
RBC送信所では、過去に2本の支線式鉄塔があったことが航空写真で確認できました。敷地の形状(円形の中心に鉄塔)
から見て、画像Bの場所にあったものが、最初のラジオ鉄塔です。
その後、1960年のテレビ開局に伴い、テレビ用に建てた新鉄塔(画像Aの場所)へラジオ放送も移動したとのことです。
(テレビ・ラジオ併用鉄塔)
一方、RBCでは、占領時代に英語放送をしていた歴史があり、旧ラジオ鉄塔は英語放送用として継続使用されていました。
英語放送は、日本へ復帰後の1973年11月に廃止され、旧ラジオ鉄塔は予備アンテナとして残っていたものの、1980年ごろに
解体されたとのことです。
さらに1985年6月には、テレビ送信が豊見城村高安のNHK鉄塔へ移転し、QABが開局するまでの約10年間はラジオ専用の
送信所になっていました。
ラジオ放送の増力(1995年9月)やQABの開局(1995年10月)などの要因で、新鉄塔(現在の鉄塔)が建設されました。
また、その後デジタルテレビ放送が開始され、RBCテレビは、2006年12月に21年ぶりに、この地へ戻ってきました。
この項目に関してもT様から情報をいただきました。ありがとうございます。
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