送 信 塔 見て歩き
静岡県 ・ 中継局
静岡エフエム放送 浜松中継局 2016年10月、2017年5月撮影
静岡エフエム放送(K−MIX)浜松中継局は、市内中心部から西方向へ行った「佐鳴湖」の西湖畔の西区大平台2丁目にあります。
アナログ時代には、ここからUHF3社(SUT、SATV、SDT)の電波も送信されていましたが、デジタル波は、NHK浜松支局の鉄塔からの
送信になり、ここからのテレビ電波の発射は停止されました。
また、2012年12月にモバキャスが開局しましたが、2016年6月末で事業が終了したため廃局となり、現在はK−MIXのみが
送信しています。(幸いにも訪問時点でモバキャス送信アンテナ・受信パラボラが撤去されずに残っていましたので合わせて紹介します。)
2016年の画像は、朝方の訪問に付き、一部の方向からの撮影は、逆光で見辛いです。ご了承ください。
一部、2017年画像を追加・差し替えしました。(撮影日が無いのは2016年の画像です。)
浜松でも i−dio の放送が始まったとのことで、どこから送信なのか、とりあえずK−MIX中継局を見てきました。
前年訪問時と変わらず、ここから送信なのか、確認できませんでした。
天気が良かったので、画像を追加・差し替えしました。
鉄塔の全景です。 2017年撮影
全景です。 2016年撮影 |
別角度から。 |
鉄塔を見上げてみました。
K−MIXのSTLです。 |
モバキャスの受信パラボラです。 |
鉄塔の中間部には、携帯電話と思われるアンテナがあります。
フェンスに案内板がかかっていますので、何か工事をしているものと思われます。
以前の様子と比較します。
2003年 |
2016年 |
アナログ時代に3基あったテレビの受信パラボラが撤去され、K−MIXのSTLのみになっています。
(モバキャスのCSパラボラは残っています。)
2005年 |
2016年 |
別角度から。
当中継局では、見た目の大きな変化は、テレビの受信パラボラが撤去されたことでしょうか。
先端のUHF双ループがスーパーターンに変わっていますが、距離があるので気付きにくいと思われます。
付近の電柱のケーブルです。「CTC」と「CATV」の2つの札があります。
CTCは光ケーブルの通信会社ですね。ケーブルテレビ会社でもインターネットを提供していると思いますので、競争が激しいですね。
浜松のケーブルテレビでは、期間限定でテレビ愛知を再送信しているようです。他の名古屋民放4局も以前はデジタルでも再送信
していましたが、現在は終了しています。 株主を見ると静岡民放各社が名前を連ねていますね。
ところで、つい最近、K様よりいただいた情報ですが、テレビ静岡(SUT)が1968(昭和43)年10月に、最初に浜松に中継局を
建設した場所は、今の大平台2丁目ではなく、富塚だったとのことです。
ではなぜ、大平台に移転したかと云うと、その場所は自衛隊浜松基地に近く、航空法上の問題があり、民放第3局の浜松中継局が
建設された時点で、そこへ移転すると云う念書を防衛庁に入れた上で運用されていたとのことです。
その結果、静岡県民放送<SKT>(現 静岡朝日テレビ<SATV>)と共同で入野町(平成10年11月に大平台に町名変更)に建設した
中継局へ1978年9月に移転したとのことです。
このことは、1988年発行の『テレビ静岡二十年の歩み』に掲載されているとのことです。
ただ、手元の資料では、SKT浜松中継局の運用開始(本免許<サービス放送>)は6月となっており(SKTの会社としての開局日は、
1978年7月1日なので、浜松の運用開始<サービス放送>は前月の6月で合っていると思われます。)、この2か月余りは、
別々の場所から、それぞれのUHF波が出ていたのでしょうか。 謎が残ります。
それはともかく、では実際に富塚町のどこに中継局があったのか、K様の推測を元に自分でも地図などを確認してみました。
国土地理院の1980年ごろの地形図には、冨塚西小学校の北西約200mの場所に電波塔マークがあります。また、当時の
航空写真ではラジオ塔のような赤白鉄塔が確認できます。
この2つは同じ場所なのか、国土地理院のHPにあるのは少し不鮮明な別の航空写真ですが、今の地図と重ねて透過させ
赤白鉄塔の場所を現在の地形図で位置を押さえ、古い地形図と比較すると、電波塔マークと赤白鉄塔は同じ場所と確認できました。
(上記のような面倒な方法になるのは、国土地理院では古い航空写真を公開していますが、可変縮尺可能な古い地形図は無く、
透過法による両方の重ね合わせは、残念ながらできません。また古い地形図は不鮮明な状態でしか公開されていないため、
『今昔map on the web』を参照しました。)
赤白鉄塔があった場所の現在の様子をグーグルストリートビューで見ると、住宅街となっており、当時の面影は残っていないようです。
ネット上を探しても、これ以上のことは分からず、赤白鉄塔がSUT中継局だったのかも最終確認は取れていません。
後は、地元図書館に行って古い住宅地図を見るしかないようです。
ただ、航空写真では簡易的な鉄塔に見えるので間違いないという印象です。でもなぜ最初、そこに中継局を建てた(建てられた)のかは
謎のままです。
滑走路の進入路上ではなく側面側ですので、許可した側も気付かなかったのでしょうか。
あまり知られていない貴重な情報をありがとうございました。
余談ですが、
同様の手法で、物見塚にあった旧島田中継局の場所を確認すると、現在は滑走路の西隅(「富士山静岡空港西側展望台」付近)
であると分かります。 ←
と云うことは、すぐ近くまで立ち入れるのですね。
なお、『今昔map on the web』では、金谷から東側は範囲外で物見塚の電波塔マークを見ることはできません。
少し古い「カシミール3D」解説本付属の地図には、物見塚の電波塔マークがあります。
今度、静岡方面へ行く機会があれば、島田のほうは確認したいと思います。(浜松のほうは住宅街のため、不審者と思われるので
やめておきます。)
国土地理院のサイトでは、現在の地形図と航空写真等を重ねて透過させる機能がありますので便利に使えます。
中継局データ
静岡エフエム放送(K−MIX) 78.4MHz 250W
アナログテレビ放送は2011年7月24日をもって終了しました。
当中継局はデジタル化されず、FMのみの中継局になりました。
参考
モバキャス浜松 214.714286MHz 2.5KW
モバキャスは、2016年6月末で廃局しました。
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