送 信 塔 見て歩き
静岡県 ・ 中継局
浜松テレビ・NHK−FM中継局 2016年10月撮影
浜松デジタル中継局は、浜松市の中心部に近い、中区下池川町のNHK浜松放送会館内にあります。
ここは「牛山」という小高い丘になっています。
送信鉄塔は、建物の裏側に地面から建つ支線式トラス鉄柱です。
現在は、先端部にデジタルテレビアンテナ、その下にNHK−FMのアンテナが取り付けられています。
また、各方向に向くTTL伝送用アンテナも取り付けられています。
以前には、アナログのNHK−G,Eと愛知国際FMのアンテナも付いていました。
アナログ終了後、FMアンテナは下方から、アナログ教育テレビアンテナがあった上部の位置へ移動しています。
放送会館の角には、大きな看板があります。
放送会館です。 |
玄関の表札、案内です。 |
沖縄や福岡、京都も放送会館と送信所が分離(廃止を含む)されましたので、放送会館に同居する送信所(中継局)は、
NHKでは浜松のみになっています。(なお、浜松放送会館では、番組制作をしていません。)
2003年 |
2005年 |
2016年 |
2003年の画像は、アナログのみの時代です。先端にデジタルアンテナが取り付けられていません。 この年との比較はしていません。
2016年撮影の大きな画像は、こちらから。 ブラウザの「戻る」ボタンでお戻りください。
なお、大きな画像は合成につき、曲がっているかもしれません。
それでは、前回(2005年5月)撮影の画像と今回を比較しながら見ていきます。左が前回、右が今回です。上から下へ降りていきます。
なお、増えたパラボラの向きは、未確認です。(秋葉中継局・固定局はNHKのみ、ここからTTL伝送しているようです。)
局舎屋上の小さな鉄塔にも変化があります。
2005年 |
2016年 |
この鉄塔から、パラボラが1基撤去されています。
また、屋上からは、アナログテレビ用と思われる八木アンテナが撤去されています。
この2枚は、2016年 |
非常用と思われるデジタルアンテナがあります。 |
非常用アンテナは、NHK専用と思われますが、未確認です。
見えている鉄塔に付いているケーブルは、中波放送予備アンテナの根元と思われます。 2枚とも2016年撮影
中波放送予備アンテナの全景です。 2016年撮影
細い支柱からもワイヤーが張られています。
屋上の小さなパラボラも健在です。2016年撮影
なお、今回も裏側へは回れませんでしたので、鉄塔の基礎部分の画像はありません。
(送信機器は独立した局舎ではなく、会館建物の中にあるようです。)
ところで、日本でのテレビジョン研究は、大正時代後期から始まっていましたが、浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)で
研究をしていた高柳健次郎氏によって、1926(大正15)年12月25日、世界で初めてブラウン管に「イ」の文字をはっきりと
映し出すことに成功しました。
その後、高柳氏はNHKへ移り研究を続けました。しかし戦中は研究の中断を余儀なくされ、戦後はGHQにより研究禁止、
公職追放となりました。
そのため日本ビクターへ移り、NHKや他メーカーと共同でテレビ放送の技術と受像機を完成させた、と云うことです。
そうした縁で、高柳氏がNHK浜松に勤務されていたわけではありませんが、浜松放送会館前に石碑が建てられたものと思われます。
これが、カタカナの「イ」の文字をかたどった石碑です。左側の碑文を読むと昭和36年9月に建てられたことが分かりました。
(余談ですが、この石碑は、当方が生まれた直後に建てられたものなのですね。55年間ご苦労様です。)
NHK浜松の表札のすぐそばにあります。
浜松市西部協働センター(広沢1丁目)前にも「テレビジョン発祥の地」の石碑があるそうです。(浜松高等工業学校跡地だそうです。
隣接地には浜松市立高校がありますが、浜松高等工業学校とは無関係です。)
NHK第1放送では、2016年10月現在も女性アナウンサーによる「JODG」のコールサインを、定時に送出しています。
第2放送も同じかと思いますが未確認です。
中継局データ
アナログテレビ放送は2011年7月24日をもって終了しました。
デジタル | NHK総合 | NHK教育 | SBS | SUT | SATV | SDT | ||
チャンネル | 20ch | 13ch | 21ch | 22ch | 23ch | 25ch | ||
リモコン | 1 | 2 | 6 | 8 | 5 | 4 | ||
出力 | 各局とも | 1KW |
NHK−FM 82.1MHz 250W
©2016 送信塔見て歩きWeb