送 信 塔 見て歩き
京都府 ・ 中継局
匿名希望様提供の画像で紹介します。


将軍塚テレビ中継局  2013年5月撮影

将軍塚中継局は京都市東山区粟田口粟田山南町にあります。この辺りは将軍塚と呼ばれているようです。2010年12月にデジタル化されました。
上京区、下京区、東山区、北区周辺をエリアにしているようです。

アナログではKBSも送信していましたが、デジタルではNHKの2波のみになっています。
鉄塔の全景とアンテナの拡大です。

かつてのアナログ中継局の説明です。
送信アンテナは、2波共用の4L2段2面+4L1段1面でした。受信は、NHK−Gが1.2mグリッドパラボラで比叡山受け、
NHK−Eが8素子八木で生駒山受け、KBSが90CRで比叡山受けでした。
KBSのみのアナログ設備は、撤去済みと思われます。

デジタルでは、送信アンテナが4面になっているようです。(3面は2段、1面は1段)

 


方向がハッキリしませんが、比叡山向きと思われます。とすると、上記画像の90CRは生駒山向けでしょうか。
比叡山向きがNHK−G、生駒山向きがNHK−Eになります。

 


局舎と表札です。景観に配慮して、緑に塗られています。

 


ところで、中継局の名称でもある「将軍塚」って何でしょうか。気になったので調べてみました。(いくつかのWebサイトからの寄せ集め、受け売りです。)

以下は、テレビ中継局とは無関係な内容です。

『桓武天皇は、都を平城京(奈良)から京都南部の長岡へ移し、その造営工事中に次々と災難・不幸が起きました。天皇は、この地で都の造営を続ける
べきか、悩んでおられ、その気持ちを察した和気清麻呂は、狩を口実に天皇を連れ出し、京都東山の高台(現在の将軍塚)に誘い、盆地を見下ろしながら、
新しい都はここに定めるのがふさわしいと進言しました。天皇はその勧めに従い西暦794年(延暦13年)、平安建都に着手されました。

天皇は、その後、この都を長く護るようにとの意味(王城鎮護)で、高さ八尺(約2.5m)の将軍の像(征夷大将軍・坂上田村麻呂と伝承される)を土で作り、
鎧甲を着せ鉄の弓矢を持たせ、太刀を帯させ、都の方に向けて埋めるよう命じられました。』 これが、この地を「将軍塚」と呼ぶ由来ということです。

場所は、京都市東山区粟田口の東側、標高215mの華頂山頂です。塚は、直径約20m、高さ約2mの円形盛土で、塚の頂上部に「将軍塚」の石柱が
あります。


「青蓮院門跡別院 大日堂」境内には、大きな展望台が2か所(北展望台と西展望台)あります。西展望台からは、京都全市街繁華街を眼下に見下ろすことが
でき、北展望台からは、将軍塚から比叡山にかけての東山連峰がよく見えるということです。
西展望台からは京都市街が一望できるので、京都が舞台のサスペンスドラマによく使われているという情報もありました。


中継局データ

アナログ NHK総合 NHK教育 KBS
チャンネル 44ch 46ch 48ch
出力 各局とも 10W

大阪民放4社は、アナログ中継局を設置していませんでした。

アナログテレビ放送は2011年7月24日をもって終了しました。


デジタル NHK総合 NHK教育
チャンネル 25ch 28ch
リモコン
出力 各局とも 1W

将軍塚中継局では、大阪民放4社とKBSはデジタル中継局を設置していません。


Copyright ©2013 mitearuki.  All rights reserved.