送 信 塔 見て歩き
名古屋市緑区有松町字桶狭間神明


NHK桶狭間ラジオ放送所 跡地  2003年5月3日撮影、2023年8月に現状を撮影

名古屋市内にNHKラジオ放送所の跡地があると云うので連休を利用し訪問しました。

跡地は、幹線道路から脇道に入った住宅街にありました。
裏側に回ると市街地の真ん中に、L字形をした広大な空き地が広がっています。

桶狭間(おけはざま)と云う地名が示すように、当地は1560年に起きた織田信長軍と今川義元軍との合戦(桶狭間の戦い)の
現場近くです。



南側に進入路があります。突き当たりが放送所の正面入口です。 両側に住宅が並んでいます。

 


さらに、近付きました。 門には、しっかり鍵がかかっていました。
 


表札を少し角度を変えて2枚。

門ギリギリに車が止まっていたため、右の画像は車のガラス越しの撮影です。変な影が写り込みました、あしからず。
 

それでは、反時計回りに敷地沿いの道を歩いてみます。

正面側から2枚。

この建物は、事務所棟でしょうか?。窓は、すべて塞がれ、雑草が伸び放題です。
まさに、兵どもが夢の後といったところでしょうか・・・。(古戦場に引っ掛けたつもりです。)

 


東側から見た正面玄関側です。

画像左側の細長いポール(?)の辺りが正面正門です。(上から2番目画像の右隅を参照。)

 

裏へ回ると建物の様子が、よく分かります。廃屋状態です。 L字地形の平らな部分の北側(上側)から撮影

 


少し移動しました。  なぜか煙突状のものがあります。

ところで、この事務所棟(?)は、寝泊まりできる施設だったのでしょうか。スタジオも在りかも?。
  


フェンスに沿って北(L字地形の垂直部分の右側)へ100mぐらい進むと旧ロゴが付いた建物があります。どうやら送信局舎のようです。

送信局舎を角度を変えて2枚。

 

さらに2枚。 敷地内を通り抜けられる通路があります。 

 


旧ロゴです。

看板もあります。大きな画像は撮り忘れです。 表札も撮り忘れです。

 


局舎上部を拡大しました。ここから、給電線が出ていたようです。

 


局舎西側の様子です。奥が事務所棟です。 局舎裏側には、何かのアンテナが・・・。

 

局舎横に何かのアンテナがあります。 角度を変えて2枚。

 


この画像の左寄りに鉄塔が建っていたようです。(草が生えていない部分か? なお、鉄塔は2基あったようです。)
撮影方向は、事務所棟と送信局舎の間です。 通路を渡った西側からの撮影です。

 


局舎の北側には、さらに空き地が広がっています。
この辺りに、もう1基鉄塔があったようです。

1987年10月撮影  鉄塔が2基あります。
国土地理院Webサイトより

 


敷地を囲むように、車一台が通れる幅の道路があり、どの方向からも空き地を見ることができます。
ただ、廃屋と雑草があるだけですが・・・。

表札や旧ロゴマークがなければ、いったい何の場所なのか分かりません。 先日の新聞報道では、
NHKは、地上デジタル化の資金調達のため遊休地の処分を検討しているそうです。その第1候補が、
この場所とのことでした。(現地へ来てみて、納得しました。)


ここで、当放送所の歴史について

NHK名古屋放送局が放送を始めたのは、1925年(大正14年)7月でした。最初は名古屋市中心部から1KWで の送信でしたが、
10KWへの増力を機に、丘陵地の有松町桶狭間へ移転しました。

1929年(昭和1年) に工事が完成し、放送を始めました。4年後には第2放送も開始しましたが、戦時中は第2放送を中止した時期も
ありました。また、戦後の一時期には、進駐軍向けの第3放送を行ったこともあります。(第3放送は1953年に終了)

その後、さらに出力を50KWに増力することになり、市街化した桶狭間では、電波障害が予想されたため、 海部郡弥富町へ
移転することになり、1983年12月に、ここからの送信を停止し半世紀にわたる歴史を閉じました。

また、鉄塔は倒壊の危険から、まもなく撤去されました。(航空写真を確認したところ1987年10月時点では、 まだ鉄塔があったようです。
上記、航空画像参照)

その後の情報では、2008年3月までに鉄塔以外の建物も解体され、更地になったようです。

さらにネット上で情報を探すと、あるブログに2011年10月には既に住宅が建ち始め、一部の場所では街並みが出来ていることが確認できます。

過去のNHK経営委員会議事録を確認すると、平成19年6月12日に開催された「第1046回」の中で、宅地21,424.73m2を999,990千円で
売却することが、議決されています。
 


そこで、国土地理院Webサイトで公開されている航空画像で、当放送所の移り変わりを見てみます。


1949年5月撮影

1969年5月撮影

1949年画像になく、1969年画像の上方を斜めに横切る水路は、愛知用水です。  1957年11月着工、1961年9月完成です。

 


1982年11月撮影

2007年10月撮影

2007年の画像は、当方が訪問した時の様子と、ほぼ同じ状況です。

 


2020年9月撮影

2020年になると、びっしりと住宅が並んでいます。

上記航空画像は、「国土地理院Webサイト 地図・空中写真閲覧サービス」より切り出しです。

画像は、上が、ほぼ北です。 (送信所敷地が垂直になるよう、ほんの少し、反時計方向に画像を回転させています。)



2023年8月に、すぐ近くを通ったので現状確認のため20年ぶりに訪問しました。上記航空画像の通り住宅街でした。

上記画像は、元の正面方向を撮影したものです。


©2003-2023 送信塔見て歩きWeb