「日本海中部地震」


1983年5月26日の正午に秋田県沖で発生した「日本海中部地震」はマグニチュード7.7 最大震度が5と日本海側で
起きた地震としては大規模なものでした。
当方は、日本海側では被害がでるような津波なんて発生しないものと思っていましたし、ある意味、一般的な常識だった
気がします。
結果、避難が遅れ、家屋などの倒壊での死者が少数なのに対し、津波での死者は100人規模でした。

当時、当方は大学生で、授業が午後からだった(記憶があいまい)のか、川崎市のアパートで、昼のNHKニュースを
見ていました。全国ニュースが終わりローカルニュースに切り替わって間もなくの16分過ぎ、突然画面に「津波警報」の
テロップ、と同時にチャイムが鳴り、臨時ニュースが始まりました。
担当は、その後沖縄放送局長も勤められた井川アナでした。(この時「大津波警報」と言っていたらしいのですが、単に
「津波警報」としか記憶に残っていません。) ← というか、知識として「大津波警報」を知りませんでした。
(一部の新聞でも、大津波の津波警報と言う表現がありましたので、一般には知られていなかった印象です。)

NHKニュースに戻りまして、有名な?、秋田の座り込む女性の映像は、かなり早い時間(13時より前?)に放送された
ような気がします。 ← 朝日新聞の4版に転載されているので、記憶は間違いないようです。


地震発生時刻が正午と云うことは、新聞社では夕刊2版は締め切った後で、まもなく3版が締め切りと云う、厳しい
時間帯です。

朝日新聞の3版と4版が残っていましたので、違いを見てみます。

まず一面です。

左・4版   右・3版

3版では、各地の震度と大津波警報の発令。それと鉄道情報と火災が1件のみです。

4版になると、一面は、特集記事と天気予報を除き、地震関係の記事のみになり各地の被害状況が詳しくなり、
写真も載っています。

 


4版の社会面です。

3版の社会面です。

社会面では、3版には地震の記事はありませんが、4版では大きな写真付きで報じられています。
それに伴い、当時社会問題化していた某スクールの記事やストライキの記事が両側へ押しやられています。


地元紙の当日の新聞もありましたので紹介します。


秋田魁新報  左・翌日朝刊   右・当日夕刊


東奥日報   左・翌日朝刊   右・当日夕刊


陸奥新報  翌日朝刊



当時住んでいた川崎の地元紙、神奈川新聞の翌日一面です。